幼い子供に「ありがとう」と言わせること

幼い子供が誰かからものをもらった時、その親は「ありがとうって言いなさい。」と子供に言う。それは、自分のものではないものが、自分のものになったことを教える社会的行為なのだ。もちろん親に悪気はないだろう。しかし、この場合の感謝を教えることは、自分のものと、他者のものとの厳密な区別を強いることでもあるのだ。

子供はこのようにして、全てのものが誰かの所有物であることに早く気付くともいえる。だが、キャッシュレス決済が日常であることを考えれば遅く気付くともいえる。この両者が関係しあって、向かう数十年の不幸な資本主義を作り上げていく気がする。この考察は、ここでは保留する。

親は「ありがとう」を子供が勝手に言うのに任せればよい気がする。さらに言えば、親は子供が素直に受け取るのを見守るだけで良いはずだ。受け取ること自体が「ありがとう」であるからだ。「ありがとう」はもっと自由に、大切に使えるように、その時を静かに待てば良いのである。子供がどうしても言わないのであれば、子供に気づかれないように代わりに感謝を伝えれば良いはずだ。無言の笑顔の会釈でもよいだろう。私はそれが一番美しく、素敵だと思う。

育まねばならないのは、ものの所有者の厳密な区別ではなく、誰かのものであり、また自分のものでもあるものを見渡せる眼であろう。それは、共有すべきものへの尊重の眼となるだろう。

雑記
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